異国風が似合う、大阪の海の玄関口
かつての港区は、淀川河口の三角州で無数の小島があったそうですが、古くから外国との交易が行われたり、北前船の帰港地として栄えました。
1903年(明治36年)に築港大桟橋が完成、築港と花園橋を結ぶ大阪市で初めての市電が開業してからは、商都大阪の海の玄関口として発展しました。港区の誕生は1925年(大正14年)、大阪港の周辺には海運会社や流通業者が集まり、戦前の大阪市では最も多い28万人が暮らしていました。
当時は大桟橋を起点にレンガ造りの倉庫や近代建築が建ち並ぶモダンな街並が広がり、「東洋のマンチェスター」と称されたほどです。築港遊園地や大阪市立運動場、映画館や劇場の入った娯楽施設などが整備され、今で言うウォーターフロントのレジャースポットとして市民に親しまれてきました。
大阪大空襲で大きな被害を受けましたが、戦後は港が復興され、地下鉄や高速道路などのインフラ整備も進められました。
そして、世界各国で水辺の再開発がトレンドとなる中、天保山周辺のウォーターフロント開発が計画されて、コンテナ倉庫が建ち並ぶ築港エリアが、人々の集まる親水空間としてよみがえることになり、再び脚光を浴びたのでした。
現在の街を歩いてみると、英国風のカフェやアメリカ雑貨を扱うショップ、おしゃれなケーキ屋さんやビストロなどが目につきます。
どこか異国風なものが街の風景に溶け込んでいるのは、昔から港町として栄えてきた歴史があるからなのでしょうか。今も天保山客船ターミナルにはクイーン・エリザベスII号をはじめ大型の外航クルーズ客船が寄港するなど、華やいだ雰囲気が感じられます。
自然との調和、新旧の融合が魅力の街づくり
弁天町と言えば、大阪で小学校時代を過ごした人たちには懐かしい施設の「交通科学博物館」があります。1962年(昭和37年)開業の“老舗”ミュージアムで、蒸気機関車からリニアモーターカーまで実物が展示されているほか、貴重な鉄道資料が展示されています。年々展示内容は進化しており、大人になって訪れるのもお勧めです。
一番人気は何と言っても模型鉄道パノラマ室。運転時間になると瞳を輝かせた子供たちや鉄道ファンの人垣ができます。また、ブルートレインの食堂車で、旅行気分を味わいながら食事を楽しむこともできます。(土日祝日は軽食、平日は駅弁を販売しています)
水の都とも呼ばれる大阪では、渡し船が市民の貴重な足として活躍していました。安治川を越えて港区と此花区を結ぶ「天保山渡船」は、今も現役として活躍する渡し船のひとつ。大阪市道の一部となっているため乗船料は無料です。大型の・・・(ry